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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)9697号 決定

原告

日新シャーリング株式会社

右代理人

坂野英雄

被告

船木茂

右代理人

松浦勇

主文

被告は原告に対し、金六〇〇万円およびこれに対する昭和四四年九月二一日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。この判決は原告が金一〇〇万円の担保をたてたときは仮に執行することができる。

事実

第一  双方の申立

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決ならびにこれに対する仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二  双方の主張

一  原告の請求原因

(一)  被告は昭和二五年三月一六日から同四一年五月一九日まで原告会社の代表取締役の地位にあつた。

(二)  被告は原告会社の代表取締役として、かねてからの取引先であつた横山商事株式会社(以下横山商事と略称)の代表取締役横山哲が設立すると称していた東日興業株式会社(以下東日興業と略称)に対し、同会社がいまだ設立されていないに拘わらず、昭和三九年八月二二日から同四一年二月二八日まで約八〇回にわたり鋼材を売渡した結果、総額金一五五六万四八五二円の未払金が残つた。その計算関係は、取引開始後昭和四〇年二月二七日までは売上金合計は金五九八万七二七六円であるのに支払額は金二一〇万七三三五円であるから未払額は金三八七万九九四一円あり、同四一年二月二八日には売上金は著しく増加して合計金二八九九万五〇八六円に達したのに、支払額の合計は金一三八三万〇二三四円に過ぎず、未払額合計は金一五一六万四八五二円になつたが、更に、売上帳簿上入金処理されていた受取手形額面四〇万円が昭和四一年三月三日に不渡りとなつたので、これを加算すると、未払合計額は金一五五六万四八五二円となつた。

そして、右未払金は東日興業が設立に至らなかつたためこれからの取立はもとより不能であり、また、東日興業を設立すると称して現実に鋼材の購入にあたつた前記横山哲も弁済能力がないため回収不能となり、結局、原告会社は右取引により金一五五六万四八五二円の損害を蒙るに至つたものである。

(三)  ところで、右取引は、被告が、昭和三九年八月初旬横山商事の代表取締役横山哲から、同会社に対する債権者の追求が厳しくなつたため、従来通り原告会社と横山商事間で鋼材取引をしていたのでは、債権者から納入鋼材を差押えられるおそれがあるので、これを回避するために、以後前記東日興業に対し鋼材取引をして貰いたい旨の懇請を受けたのに応じたものであるが、当時横山商事の業績が不良であつたことは右事実の外に、原告会社と横山商事との従来の鋼材取引の代金支払状況から、被告としては充分知悉していたことである。すなわち、原告会社と横山商事間の昭和三八年四月一三日から東日興業との取引開始直前たる同三九年八月一七日までの鋼材取引における代金支払の状態を見るに、昭和三八年四月一三日から同年一二月末までの取引についての未払代金は金二五二万円余あり、同三九年二月未で未払金は金一一八万五〇〇〇円余に減少し、これについてはその後原告会社の買掛債務と相殺されたけれども、同三九年四月一五日以降の取引で同年七月二五日に未払金が金二四〇万四〇〇〇円余、同年八月一七日にはこれが金二七七万九〇〇〇円余となつた外に、帳簿上は入金として処理されていた受取手形二通、額面合計金二〇〇万三六三〇円が昭和三九年四月末に一部相殺されたが、残額金一六九万五八六一円が未払となつており、東日興業との取引開始当時における未払金は合計三九七万五四五八円であつた。この点からしても横山商事の業績が不良であつたことは明らかである。

したがつて、原告会社の代表取締役である被告としては、未設立会社である東日興業と鋼材の取引をすると、その代金の回収が不能となり、原告会社に損害を蒙らしめることは容易に知りえたことであるのに、敢えて、原告会社の他の役員、従業員等には東日興業が未設立であることを秘して同社との間に多額の鋼材取引をなしたものであるから、原告会社の前記損害は、被告の、原告会社の代表取締役としての忠実義務ないしは善良な管理者の注意義務を怠つた鋼材の取引行為によつて発生したものというべきである。

(四)  仮に、本件取引の相手方が横山商事であつて、東日興業は単にその名義が利用されたに過ぎないものとしても、当時既に横山商事に鋼材代金支払の資力のなかつたことは、前記横山商事と原告会社との取引経過ならびに鋼材差押を回避しなければならない横山商事の経営状態からして、被告としては充分知りえたことであるから、被告の、原告会社の代表取締役としての横山商事に対する鋼材販売行為も、原告会社に対する忠実義務ないしは善良な管理者としての注意義務に違反するというべきである。

(五)  以上の事実からすると、被告は原告会社に対し、商法二六六条一項五号により原告会社の蒙つた前記損害金一五五六万四八五二円を賠償すべき義務がある。

(六)  なお、その後被告は、原告会社に対して金一五〇万円を立替支払い、これと同額の返還請求権を取得したので、原告会社は昭和四一年八月被告に対し前記損害賠償請求権をもつて、右被告に対する債務と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

したがつて、原告会社が被告に対して有する損害賠償請求権は、右金額を減額した残額金一四〇六万四八五二円となつた。

(七)  よつて、被告に対し、前記損害賠償金一四〇六万四八五二円の内金六〇〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された翌日の昭和四四年九月二一日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁および主張

(一)  被告の答弁

(1) 請求原因(一)記載の事実を認める。

(2) 同(二)記載の事実中、横山哲が横山商事の代表取締役であつたことは認めるが、その余の事実を否認する。

原告主張の取引は後述のとおり、被告が原告会社の代表取締役として、東日興業名義で横山商事との間でなしたものであり、その取引内容が原告主張のとおりであることは認める。

(3) 同(三)記載事実中、原告会社と横山商事間の昭和三八年四月一三日から同三九年八月一七日までの鋼材取引代金の支払として受取つた手形額面二〇〇万余円のうち金一六九万余円が未払となつていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同(四)記載の事実を否認する。

(二)  被告の主張

被告が原告会社の代表取締役として、東日興業名義で横山商事に対し、昭和三九年八月二二日から同四一年二月末までの間に鋼材の取引をし、その未払総額が金一五五六万四八五二円となつたことおよび、右未払金が回収不能となり原告会社の損害となつたことは、原告が請求原因(一)で東日興業との取引として主張するとおりであるが、しかし、被告が右鋼材を売却したのは次の理由からして、原告会社に対する代表取締役としての忠実義務ないしは善良な管理者の注意義務を怠つたものとはいえない。

被告が原告会社の代表取締役として、東日興業名義で横山商事との鋼材取引を継続した昭和三九年八月二二日現在において、横山商事が原告会社に対し、合計三九七万五四五八円の鋼材取引による債務を負担していたことは原告主張のとおりであるが、被告において更に、取引を継続することとしたのは、横山商事の代表取締役横山哲には過去に相当な営業実績があり、被告として同人の手腕と力量を信用していたこと、被告として横山商事の前記未払金の回収をするためには取引継続の必要があつたこと、なお、当時鋼材景気の回復の見透しがあつたことから、相当の時間的余裕を置き横山商事に対し、納入鋼材の売却先の検討や経費の削減を要請するなどの処置をとり、その営業状態を監視すると共に、横山商事に対する債務の棚上げと鋼材の相当程度の出荷をすれば、前記売掛金回収の可能性は充分あると判断したためであり、また、横山商事との継続取引に東日興業名義を使用したのも、横山商事が室蘭産興という鋼材の仕入先との取引上の争いから、原告会社からの仕入品に対し不当な差押を受けて原告会社に迷惑をかけるおそれがあつたので、これを回避するために原告会社に協力を求めたのに応じたものであつて、原告主張のように横山商事の業績不振による第三者からの追求を回避するためになされたものではなく、正当な自衛手段としてなされたもので、決して横山商事の業績悪化を示すものではない。

そもそも、中小企業間の取引は、経営者個人の信用に依拠し、その手腕と力量と商売に対する熱意を買つてするもので、実際に横山哲は過去に相当の営業実績を挙げており、また、鉄鋼製品は投機性が強く好況ともなれば短期間に需要が増え、利潤を挙げうるもので、現に昭和四〇年秋頃より市況は回復に向い、同四一年には急上昇したのであるが、昭和四一年二月末に原告会社の現在の代表取締役白木武男の指示によつて、横山商事への鋼材の納入を打切つたために、横山商事の企業活動を不能にさせ、売掛金一五五六万円余が未払となつたものである。

ところで、代表取締役の営利実現行為は、企業のもつ冒険性、危険性、投機性を伴うもので、その結果の予測は困難であり、必ずしも誠実になされたからといつて常に営利が実現されるとは限らない。しかし会社経営者たる者はこれを理由に企業活動をやめることはできない。確実な予測ができない限り企業活動をしないとしたら、企業の発展はなく衰退と消滅のほかないであろう。したがつて、予測に反して損失が生じたとしても、取締役が悪意でなく、また、自己の利益を図る目的でなく、専ら会社のため忠実に職務を遂行したものである限り、事後的に評価して取締役の判断に錯誤があり、その方策が甚だ不適当、且つ、拙劣といえるとしても、取締役の責任を問うべきではない。これはいわゆる経営の合理性に関する判断の法則として肯認されるべきである。

取締役の善管注意義務は、会社の企業経営全体の立場から時間的過程の中に営利活動の全体を観察して判断しなければならない。被告は原告会社の代表取締役として昭和二五年会社創立以来退任するまで一六年間に亘り、原告会社の経営に献身し、現在の会社を築き上げたものである。被告はこの経営の経験に加えるに前述したいくつかの事由に基づいて横山商事との取引の継続を可とし、またそれが売掛金回収の途であると判断して取引を続けてきた。白木の指示で取引を中途で打切つたため、現在においては被告のこの判断の当否を明らかにするすべはなく、ただ売掛金の回収不能という結果が残つたのであるが、前述の取引の継続を可とした理由に鑑みれば事後的にその結果のみをとらえ、善管注意義務を怠つたとするのは当らない。また仮に右取引につき被告に不注意や過誤があつたとしても、さきに述べた企業活動の特質ないし経営の合理性に関する判断の法則により、被告には法律上責めらるべき注意義務違反はなかつたというべきである。

なお原告は、忠実義務違反をも主張するが、これについても右と同様に考えるべきである。

第三  証拠〈略〉

理由

一(被告の原告会社の代表取締役としての地位)

請求原因(一)記載の事実は当事者間に争いがない。

二(原告会社の蒙つた損害)

〈証拠〉によると、被告が原告会社の代表取締役として、東日興業(当時訴外横山哲が設立中と称していたが結局設立に至らなかつた)名義を用いた横山商事に対し、昭和三九年八月二二日から同四一年二月二八日までの間鋼材を売却し、その代金一五五六万四八五二円が回収不能となり、原告会社の損害に帰したことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三(被告の代表取締役としての原告会社に対する責任)

原告は、原告会社が前証損害を蒙つたのは被告が原告会社の代表取締役としての忠実義務ないし善良な管理者としての注意義務を怠つた結果である旨主張するので以下検討する。

(一)  〈証拠〉によると、次の事実を認めることができる。

(1)  原告会社と横山商事との鋼材の取引は、第一回目が昭和三六年三月二〇日から同年九月一三日までに前後四回の取引をなしたが、その売掛代金は同年九月末までに決済されて格別の問題はなかつたこと、第二回目は昭和三八年四月一三日に再開され、原告会社は、翌三九年二月二六日までに総額金五九九万二五九八円の鋼材を売渡し、その内金二八〇万二九九四円の支払を受け、残余のうち金一一八万五九七四円については原告会社の横山商事への買換債務と対当額で相殺され、残額金二〇〇万三六三〇円については、昭和三八年一二月二五日に横山商事提出の額面金九〇万三六三〇円と額面金一一〇万円の約束手形を原告会社が受領していたが、いずれも満期に支払われず、額面九〇万三六三〇円の手形についてはその一部につき原告会社の横山商事への買掛債務と相殺され、その残額金五九万五七一二円と前記書面一一〇万円の手形が昭和四一年四月一一日に額面金一六九万五七一二円の約束手形一通に書替えられたが、結局未払のままになつていること、更に、原告会社は昭和三九年四月一五日から同年八月一七日までに総額金五六二万一二〇八円の鋼材を売渡し、右期間中に金二八四万一六二一円の支払を受けたが、残額金二七七万九五九七円が未払となり、この未払金は横山商事が東日興業名義で原告会社と取引をなすに至つた後にはじめて支払われたこと、なお、被告は、原告会社の代表取締役として、終始右取引に関与していたこと

(2)  被告は、昭和三九年八月初旬頃、横山商事の代表取締役横山哲から、他の取引先から原告会社が横山商事に納入した鋼材や横山商事がその鋼材を第三者に売却した代金を差押えられる事態となつたので、若しそのようになつた場合には原告会社への前記未払金も支払えないことなり迷惑をかけることとなるから、これを避けるために、今後は、設立を予定している東日興業名義で取引を継続して貰いたいとの申込みを受けたこと、そこで、被告は、当時横山商事としては事業の失敗から債権者から破産の申立を受けるなど仕入先である他の鋼材業者からの信用も失なわれ、しかも、資金づくりも高利以外にはできない状態で、会社資産も原告に対する負債すら賄えない状況にあり、若し、原告会社が今後鋼材の売却を打切ると横山商事は倒産し、ひいては前記未払金も回収不能となるので、この際、横山哲の過去の好況期における実績と鉄鋼業界における景気の好転による横山商事の営業成績の向上に期待をかけ、今後横山商事に対する営業経費の節減や鋼材売却先への監視を充分になせば急場を切り抜けうると考える一方、当時被告が従前の横山商事との取引において註文どおりの鋼材を納入しなかつたことから横山商事に損害をかけていたひけめもあつて、横山哲の申込を承諾したが、原告会社の他の取締役や従業員にはこれらの事情を内密にしていたこと

(3)  ところで、東日興業名義での鋼材取引については、前判示(1)から知られるように、右取引開始当時には横山商事の支払状況は既に悪化していたばかりでなく、当時の同会社の営業の実状からして利益幅の高い購入鋼材の加工による販売行為はできないので、利益幅の低い購入鋼材をそのまま売却する営業手段がとれないところから、必然的に利益を上げるためには売上量を増加する外なく、したがつて、原告会社の横山商事に対する売却鋼材量も順次増加するに至つたが、営業成績は一向に好転しないのみか、却つて、取引を重ねれば重ねる程、未払残額が増加する結果となり、結局、昭和四一年二月末の原告会社の決算期には未払残額が金一五五六万四八五二円に達するに至つたため、被告としても右取引を打切らざるをえないこととなり、同月二八日これを打切つたこと

右認定に牴触する被告本人の供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 右事実によると、被告としては、原告会社の代表取締役として原告会社のため善良な管理者の注意をもつて判断すれば、横山商事の経営の実状からみて東日興業名義で横山商事と取引を継続すると、いかに同会社の経営に対する監視を強化しても、取引量を増加すれば売掛代金の未払額を更に増加せしめる結果に終わることは当然予測しえたことであるのに、横山哲の過去の好況期における実績にとらわれ景気好転に期待をかけて取引を継続し、結局、売掛金の未収額を累増させたことは善良な管理者の注意を怠つたといわざるをえない。

被告は、企業活動に伴う冒険性、危険性、投機性を強調し、被告の過失責任を問うべきではないというが、前記事実からすると、被告が取締役として取引を当然要求される経済人としての注意を払えば、右結果は予測しえたものというべく、この注意を払わなかつたため前記の結果を招いたものであるから、企業活動に前記のような性質があるからといつて被告が責任を免れうるものではない。

また、被告は、取引行為における取締役の善良な管理者の注意義務は会社の企業経営全体の立場から、時間的過程のうちに全取引行為の総体を観察し判断すべきであるといい、この点に関連して被告の過去における会社に対する貢献を主張し、横山商事との取引のみ抽出して被告の注意義務を論ずるのは誤りであるともいうようであるが、取締役は個々の取引行為をなすに当つて善良な管理者としての注意義務を払う必要があるのであつて、ただ、個人的にみれば会社にとつて不利益な行為でも、全体的にみれば利益となる場合ならば格別、或る別個の行為につき利益をえたからといつて、右注意義務を怠り会社に損害を与えた他の行為につき取締役の責任を免れうるものではない。したがつて、被告主張のように、被告が原告会社の代表取締役として長期間に亘り原告会社の経営に献身し、その発展に寄与するところがあつたとしてもこれがため本件取引につき責任を免れうるものではない。

以上の事実によると、被告は原告会社の代表取締役としての善良な管理者の注意義務を怠り、原告会社に対し金一五五六万四八五二円の損害を蒙らしめたというべできあるから、被告は原告会社に対し商法二六六条一項五号に基づきその損害を賠償すべき義務がある。

四(結論)

以上の事実によると、被告は原告に対し金一五五六万四八五二円の損害賠償義務を負うというべきである。

よつて被告に対し、右金額から、原告が相殺によつて消滅したことを自認する金一五〇万円を控除した残額金一四〇六万四八五二円の内金六〇〇万円とこれに対する本訴状が被告に送達された翌日であること記録上明らかな昭和四四年九月二一日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(安岡満彦 山口和男 広田富男)

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